専務取締役 そば事業部部長高砂 圭司
「美味しいそばをお腹いっぱい食べてほしい」をコンセプトに誕生した小木曽製粉所。現在、フランチャイズ展開の真っただ中にあり、王滝グループの中核を担う事業のひとつである。実は、このそば事業誕生の裏には、信州を愛する一人の男の熱い想いが詰まっていることを忘れてはならない。
その男こそ、現・専務取締役で、そば事業部長の高砂圭司である。
生まれは信州松本。高校時代まで松本で過ごすものの、当時のバンドブームの波に乗って上京。と、ここまでは当時のバント少年にはよくある話だが、高砂の凄いのは、単なる夢に終わらせなかったこと。有名アーティストのバッグバンドやレコーディングサポートなど、20年にわたってミュージシャンとして活動していたのだ。
ところが、ある時、帰省した松本で食べた一枚の手打ちそばが人生を変える。「信州のそばは、こんなに旨かったのか」と、その美味しさに衝撃を受けた。
当時、既に子を持つ親となり、実は安定した暮らしへの憧れもあった。そこで一念発起し「そば屋になる!」と決めた。
最後のライブは、横浜の某ホール。あふれんばかりのファンの熱気も、歓声も、アンコールの手拍子も、すべて胸の奥底に押し込んで封印。音楽活動をキッパリ辞めた。
そして、第二の人生を故郷のソウルフードに賭けたのだ。行列のできるそば店で修業し「店を出すには一品料理も学びたい」と入社したのが「そばきり みよ田」だった。
そばに対する熱い想いは、すぐに王滝グループの上層部の知るところとなり、すぐに店長に大抜擢。ところが、はやる気持ちや会社の期待とは裏腹に、店は赤字続きの大ブレーキ。当の本人も「自分のやりたいことがいったい何なのか分からなくなっていた」頃で、一人悶々と悩む日々が続いた。
もともと根が真面目で、凝り性。何でもトコトン追求するタイプ。とにかく挑戦を続けてきた若い頃の永瀬完治社長と似ているところがあった。しかし、当の本人は相当落ち込んでいた。
そんなある日、1台の車がスーッと止まり、運転席から永瀬社長が降りてきた。高砂は、思わず「マズいことになったゾ。クビを言い渡されるのか…」と瞬時に察したという。
すると社長は、ひとこと「ちょっと出かけるぞ」。
呼ばれた高砂は、極度の緊張を抑えつつ「しゃ、社長、わ、私が運転します」と運転の交代を申し出る。当然ながら断られ、やむなく助手席へ。人生最悪の座り心地だったと想像がつく。
静かに動き出した車は、市街地を抜け、やがて山の中の一本道へ。進むにつれて雲行きは怪しくなり、トンネルを抜けると、大変な土砂降りの雨だった。
到着したのは野麦峠の奈川地区にある老舗のそば店だった。テーブルに着くと、名物の「とうじそば」や、漬物、煮物などの田舎料理が運ばれてきた。味の記憶はないという。
すると「これで払っておいて」と社長。手渡されたのは愛用の長財布で、その分厚さと重量は衝撃だった。
帰りの車の中でも、食事中も、一切、お説教も小言もなし。ただ、そばを食べただけの、トンボ帰りのドライブだった。「社長は何が言いたかったのか…」。
しかし、この日を境に、提案した新メニュー「とうじそばプラン」が大ヒット。とうじそばに、郷土料理の馬刺しや小鉢が付いた故郷を感じるセットで、現在でも「そばきり みよ田」の不動の定番人気を誇る。
「社長が言いたかったのは、今、店に足りないものは何か、経営とは何か、だったと思います」と高砂。「地元の食材を使い、素朴なもてなしでお客様に喜んでいただく。それを言葉ではなく、実際に食して体感すること。そして、成功すれば分厚い財布が持てるゾという無言のメッセージまで含め、身をもって教えてくれたんだと思います」。
その後の「そばきり みよ田」は、赤字店舗からV字回復を遂げ、高砂は社長から全幅の信頼を得る。そして、信州産のそば粉が大豊作だった2012年には、そばの三たてと言われる「ひき立て、打ちたて、茹でたて」を提供するため、自社に製粉機を導入。さらに「美味しいそばをおなかいっぱい食べて欲しい」と、2年後の2014年には製粉・製麺所を併設した「そば処 小木曽製粉所 安曇野店」をオープン。セルフサービスで税込み500円という手頃な価格が人気を呼び、初日から大行列ができた。そのあまりの混雑ぶりに、見かねた社長が自ら洗い場に入るという特筆すべき1日となった。
多店舗化を展開し、3年後には10店舗、翌年にはフランチャイズ事業を開始と、事業は年を追うごとに拡大し続け、海外も視野に入れている。
課題は安定供給だが「そばは品種によって味わいが大きく左右されるため、品質は譲りたくない。そば処の信州から発信するそばだからこそ、『おいしい』と言われたいですからね」と高砂。今後は農地を海外へ求める可能性も秘めている。
高砂の夢は人気TV番組の密着取材を受けること。いつか、海外の広大なそば畑の中に立つ高砂の笑顔が、大きく映し出される日が来るかもしれない。